自分との向き合い方
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感情は絵にできるのか?
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感情は目に見えない。取り出して見せることもできない。
エネルギーはどこから来るの?
この胸が揺さぶられる力はどこにあるの?
新しい自分深掘りがなんで?と出てきました。
もの心つくころには絵を描くことが好きで、ずっと続けてきたのに向き合うことが辛くなり手放したくなった時があります。
なんで描いているのだろう?
何のために描いているのだろ?
描くことに意味を求めました。
絵を描く自分を肯定しながら心のどこかで否定し続け、絵を描くことが怖くなりました。
周りを見れば比較。
自分自身をも否定する日々が長く続きました。
全部投げ出してやろうかと、でもそれでいて長い年月かけた自分というものがなくなってしまうようで完全に手放せず悶々としていました。2年以上自分が絵描きであることを無くしたくなくて気が向いた時に誰かに忘れられない様にだた描くことで正当化しようとしては、描けなくなっている自分に絶望するというサイクルがとても苦しく続きました。
…私だから。
自分で自分の事をよく理解できず悩んでいた時に
作品を買ってくれた人、私の作品を好きだと言ってくれる人に実際に聞くことをしました。
絵を見ていると元気が出るんだ。
絵が目に入ると頑張ろうと思えた。
見ると落ち着くことが出来て、健やかに生活ができる。
あなたの作品だから。
絵は口ほどにものを言うとはよく言ったもので…という言葉が好きな気でよく使っていたが、その時あらためて言葉の意味に納得してしまった。というより本当の意味も理解せずに使っていたのだと悲しくもなった。
あぁ、私の作品は私が描いているだけで意味があったのだと。
自分の感性を、好きなものを、私の心をもっと信じてよかったのだと。
目に見えないものを信じていいのだと、絵を描く自分を、ただ好きだという気持ちを肯定することができ、いままで自分と向き合っていなかったのだと、よく知ろうとも、心に耳を傾けなかったのだと、納得してしまった。
自分と向き合った時に何が出るのか
私は一生の中でどこまで自分の心の声をちゃんと聴けるのだろうか。
自分の心に声を聞けたら、絵を通して何が出るのか。
世界はもっと鮮やかになるのか。
明日には変わっていくこの普遍的なものをどこまで追及が出来るのだろうか。