「モノづくり」と「届ける」という事

モノづくりについて

 私にとっての「モノづくり」は絵を描くことが中心にあり、基本は紙に描くことなのが多いのですが
紙以外に派生していく時は、単純にそれが面白いかな?と思ったり、かっこいいな、かわいいな、というイメージがより伝わりやすいように媒体を変化させることがあります。
 自分の好きなことや得意なことから始まった「モノづくり」は結局のところ自分のために作っているという根底から今は作品を求められ、いいな、欲しいな、と思っていただくことで自分だけで満足するものではなく、世に出していくサイクルになってきました。
 お仕事の受注、アート作品のオファーや、オーダーでない「モノづくり」は自由過ぎるため「ただ作ることだけ」になってしまいがちです。
 過去に「モノづくり」のイメージが自分の中で具体的になる前は、作品への思いの込め方は作家それぞれだとか、具体的な思いを伝えるためにわかりやすい作品だからとか、言ってしまえば答えのないことだからと決めつけて、自分がモノをつくる根底や手段、なぜそれじゃなきゃいけないのか、などをよく考えていなかったんですよね。だからその時は自分の好きなことの延長線で言ってしまえば自分のために作った作品を、人から欲しいと言ってもらえる事に疑問を感じたり、おこがましいような、申し訳ないような気持ちがありました。なんかかっこいいよね、なんかいい感じと、とりあえず描くことが楽しいからなにも考えず作業ばかりしていました。そのくせ人には「アートなんて人それぞれ感じ方が違うんだから、欲しがる人には価値があるんじゃない?」なんて伝えて、いざ自分に置き換えたら「そうなのかな?まぁ言ってることはわかるけど…」と悩み、アートのもつ自由さをその時は納得できていないんですよね。結局自由の中から無意識にでも選んで「モノづくり」している意味を自分が理解していなくて、大して考えることもしていなくて、好きで止まっていて、自分の作品の価値や自信についても、ちゃんと考えていなかったのだと理解が出来ます。

 大先輩たちが「好きだからやっている」ということの中にたくさんの意味が込められているのも、少しづつ自分の納得する答えが出せるようになったのも最近で、まだほんの一部しか受け取れていないんだろうなと思っていて、しかもそれってどんなこと?と教えてもらうだけではなく、その人が出した答えじゃないと「モノづくり」に繋がっていかないんだと思っています。
 いま私は自分との向き合うツールのようなイメージで「モノづくり」に取り組むようにしています。日常で受けた刺激や学びを通じて思いを作品にすることで胸の中にあるものを自分なりに噛み砕いて、手を動かしていると自然に胸の中にある感情や思いを消化していくことが出来きます。
 無意識にでも心にゆとりがなかったり、どこかで別の事を考えていると作品に出るんですよね。面白いことに。そして、それは受け取り手にわかってしまうことなんです。見る人が見なくても、手を抜いた作品や楽しんで描いた作品など「モノ」は誕生した時点で、思いが勝手に入り込んでいるんだと私は考えています。そして、自分がその作品を見た時に一番鮮明にその時の状況と思いを覚えているんです。本当に面白い。
 当たり前だよと思われるかもしれませんが、その時の意識への理解度や自分の技術でしか、自分からは生み出されていかないのです。それが個性というものなのです。それ以上も以下もないんです。だからその時にできる自分のすべてで「モノづくり」と向き合っています。

届けるということ

 作品を通じて想いは伝わるのか?答えはYESと思いたいです。
 まず、作品から何かを感じよう、理解しようと受け取り手に受け取る準備が出来ている場合は、その人なりの答えがきっと得られます。そしてその感覚は受け取り手の感情や状況によって変化します。いつもは気にならなかった作品の表情が、悲しい気持ちの時に初めて目についたり、作品をみて癒されたり…。作品を通じて受け取るものは自由なもので答えは見る人によって違っていいのです。
 色の話になりますが、リラックス効果のある色と言われたら何色を思い浮かべますか?食欲がわく色は?元気がでる色は?落ち着きたい色は?人は色を見ることで刺激があり、無意識に色から感覚を受けます。作品の中に使った色彩は作家が意図したことかもしれないし、そうじゃないかもしれません。
 大事なのは自分がどう刺激を受けたのかというところで、何も感じないという事も今のあなたには見えなくても良いものかもしれませんし、見たくないものなのかもしれません。
 世の中には受け取る準備をしていない状態の人に強烈なエネルギーを届ける作品も沢山あります。言ってしまえば興味がないのに目についたもの、よくわかんないけどすごい!と感じたこと。これについては持論ではありますが、作り手の想いや上記に書いた「モノづくり」と向き合う力だと考えています。スイッチをオフにしている状態を、作品の力でオンにできたら素晴らしいですよね。

 たとえばスーパーで買えるもので「実用的か」の次にパッケージやデザインを見ますか?無意識にでも意識的にも自分の気に入ったデザインをあなたは選んでいる思います。だってあなたの近くに嫌いなものは置きたくないですよね。その好き嫌いの判断はあなたの個性なんです。作品の中にもあなたの好き嫌いの部分がたくさん含まれています。「好き」がたくさん身近にあると人の幸福度は増します。好き、かわいい、かっこいいなど身に付けたり、部屋のよく見える場所においてあったりすると、なんかテンションが上がってやる気が出ますよね。疲れた時にそれを見ると安心しますよね。

 アートには実用性が無いと言ってしまえば、そうかもしれません。食べられることもできませんし、特に身に付ける物でなければ、インテリアの一部として飾られています。衣食住から外れているんですよね。でもこの長い歴史で世界から無くならない理由はあるのでしょうか?

 私なりに答えを出すなら、自分と向き合うきっかけになるから。

 人は何かに触れることで刺激をうけ、感性を磨いたり、気持ちを理解したり、充実度を高めたり、自分というものがより良くなっていきます。自分探しや自分の未来を明確にするためのイメージのきっかけを外から様々な面で常に見せているのだと思います。自分の中にある答えが見つけづらい時に、アートを通じて自分自身と向き合うための1つのツールとして影響を受けることが、世界から芸術が無くならない理由なのかなと考えています。
 また、世の中でずっと重要視されている個性についても、単純に「好き」から個性を見つけことができます。あなたが好きという事はみんなが好きなもの?あなたが感じた見え方はひととは違うかもしれないということ。そしてそれがとても素晴らしい事だということ。個性の重要さに気付き、自分が感じたことに自信をもって個性として力を発揮できればなにかのきっかけになるのかもしれません。

 さて「届ける」という事ですが、私は自分でも「モノづくり」をしていて、芸術(ここでは、絵画やアート作品以外にも音楽や舞台などの広いもの)を通じてインスピレーションが沸いたり、元気になったり、コミュニケーションの考え方や、日々の小さな幸せに気付くをきっかけになると考えています。
 世の中にはたくさんあり、無意識に形や色から影響を受けています。それにより行動なども変わります。好きなものを選んで身近に触れる環境を作れれば、自分を少しだけコントロールできるようになるかもしれません。ちょっと試してみてよ。楽しいから。と伝えていきたいのです。